「歴史」「地理」「公民」の計3巻のシリーズです。
本書には大学時代に出会い、「こんな面白い授業ができるのか!」と心から驚かされ、「こんな授業ができる教師になりたい!」と強く思った、そんなシリーズです。
特に初任から5年目くらいまでは、河原先生のシリーズから「生徒に響く面白い教材はないか!?」と探しては授業を実践していく。
そんな日々を過ごしていました。
さて、「荒れ」が最も激しいと言われる大阪で中学校教師をされていた河原先生の実践群の魅力は多様な授業形態にあります。
「すばらしい教材を提示し説明しても、2分以上の単なる説明は集中して聞いていないと思ったほうがよい」(歴史第13貢)という思想のもと、「『発問』『クイズ』『考える課題』『班討議』『発表』『作業』『ミニ討論』…『ランキング』『シミュレーション』『ゲーム』『ビンゴ』『KJ法』『ウェビング』」(歴史第13頁)など様々な授業形態を導入しています。
例えば、歴史における弥生時代の実践を見てみます。
学習活動は4つ。
「①弥生時代の命名の由来のクイズ」「②弥生人の顔を描いてみよう」「③吉野ケ里遺跡の絵から縄文の村と異なる点を発見する活動」「④銅鐸の分布の謎を考える」(第25頁~第29頁)です。
ここに、河原実践の良い点と問題点が凝縮されていると考えます。
まず良い点は、小刻みで魅力的な学習活動です。
授業をユニットプログラムのように学習活動で区切り、上記で引用したような多様な学習活動を実施しているため、生徒が授業に飽きるということは少ない授業形態です。
言い換えれば、社会科の一斉授業における持続的な意欲喚起を、学習活動を小刻みに導入することによって達成していくという授業形態です。
この一斉授業における「小刻みな学習活動」という河原実践の発想は、特に一斉授業を行う際は意識的に自分も実践しています。
学習内容を抑えなければならない社会科という教科は、工夫をしなければ一斉授業は多くの場合知識注入型の講義となっていしまいがちです。
しかし、その講義的な部分が増えれば増えるほど、大多数の生徒の学習意欲は、よほど教師の指導技術が高くない限りは減退していきます。
その学習意欲の減退を、「小刻みな学習活動」を挿入していくことで、防いでいるわけですね。
「小刻みな学習活動により、生徒の学習意欲を維持できること」が河原実践の良いところです。
では、逆に河原実践の問題点は何か。
これも前に示した弥生時代の実践群から分かることなのですが、実は4つの学習活動が因果関係で結びついていません。
4つの学習活動を結びつける物語や軸がなく、構造的ではない活動や課題の羅列となってしまっています。
これは、社会科の授業として、大きな問題ではないかな、と自分は思っています。
内容教科であり、構造的に学習内容を積み上げ社会認識を形成していくべきであるにも関わらず、「本時の授業の大きな課題は何で、どのような学習内容を学んだのか」という授業の根本部分に答えることができないからです。
学習活動をたくさん導入し、持続的に学習意欲を高めていくことは良いことだと思うのですが、その活動が意欲喚起に偏りすぎてしまい学習内容の構造化に繋がっていかないという部分が河原実践の問題点であると自分は捉えています。
したがって、後半部分を修正し、構造的に「小刻みな学習活動」を導入し授業を構想していけば、河原実践の問題点は克服できますし、自分はそのような発想のもと、授業を構築する場合も多いです。
また、ネタ主義の授業は、突き詰めた時に「学ぶ意義」に答えられない、と現在は思っています。
再度、弥生時代の実践を見ます。
「①弥生時代の命名の由来のクイズ」「②弥生人の顔を描いてみよう」「③吉野ケ里遺跡の絵から縄文の村と異なる点を発見する活動」「④銅鐸の分布の謎を考える」
生徒は楽しく授業を受けることは間違いないです。
ただ、弥生時代を生徒はなぜ学ぶのでしょうか?
そこに真っ直ぐ答えることのできる授業ではないな、と思います。
生徒を惹きつけるネタは大切。ただし、それは、学習内容として構造化されており、かつ、学ぶ意義に答えられる授業である必要がある。
現在はそのように考え、河原実践の良い点は受け取りながらも、批判的に継承するようにしています。