上下巻で1セットです。
安井先生の歴史の授業実践が、108時間、びっしり紹介されており、自分は何度も本書を開いては自分の授業に生かしてきました。
さて、安井実践の中で最も有名で、かつ本書にも紹介されているスパルタクスの反乱について見ていきましょう。
ポンペイの町から発見された奴隷。その奴隷がスパルタクスに率いられ反乱を起こす過程を、スパルタクスの人生を追っていくように物語化していきます。
子どもたちは、当時生きていた人々に共感(シンパシー)を感じながら、歴史の中に入り込んでいきます。
メインの問いとして
「Aこのまま首都ローマを攻撃。ローマを滅ぼそう。Bいや、アルプスを越えてそれぞれの故郷に帰り自由をかちとろう」(上巻第37頁)
と学習者をスパルタクスや行動を共にしていた奴隷の仲間たちと同化させ、切実な立場に立たせ、行動を選択させます。
歴史の一場面に生徒を主体として切実に立たせる手法をとるわけです。
そして、このように「AorB」に生徒を分化する発問が主要発問として、安井実践では多く取り入れられ、討論が行われます。
以上のことから、安井実践の真骨頂は、「歴史に生きる主体の育成」にあると自分は解釈しています。
「君が、その歴史の一場面に立っていたらどう判断する?」という難問を常に突きつけ、歴史を作り上げてきた人々の想いまでをも理解させようとする。
そして、「人々が置かれていた営みに、今君は立っているんだよ」という「歴史に生きる主体」として、自分を振り返らせる。
「歴史に生きる主体の育成」という社会科教育観を安井実践からは強く感じます。
この「歴史に生きる主体の育成」という教育観が、自分はとても好きなのです。いや、好きでした。
というのも、安井実践を生かした実践を、教師1年目〜5年目までは、たくさん行っていました。
すると、教室は盛り上がります。たくさん議論も起こります。「歴史の授業は楽しい!」と多くの生徒が言っており、授業評価も他の教科より高かった状況でした。
そして、この活動が、生徒の選択・判断する力を高めるものと信じて実践していました。
安井実践を大元にして選択・判断を中心に単元を構想していくことも、何度もありました。
若かりし頃の自分の授業に最も影響を与えたのは安井実践、といっても良いと思います。
しかし、現在は、安井実践による授業はほとんど行っていません。
なぜなら、選択・判断する力は、その選択・判断する内容の知識や文脈を理解していることなは大きく依存しており、関係のない事例でいくら選択・判断したとしても、その力は伸びない、というエビデンスがあるということを、複数の書籍から知ったからです。
つまり、いくらスパルタクスの選択について議論したとしても、将来の就職先選びや投票行動、会社における事業選択等には全く生きないということです。
では、何のために議論しているのか。
その議論は楽しいかもしれない。でも、楽しいの先に育みたい力に結びつかないのではないか。
その時代の状況は議論を通して深く理解できるかもしれない。しかし、そもそも、古代ローマを学習することの意義に答えられないのではないか。
そんな問いが沸き立ち、現在は、「君が、その歴史の一場面に立っていたらどう判断する?」というような 「歴史に生きる主体」を育成する授業はほとんど行っていません。
ほとんどというのは、選択・判断を含め、現在に生かせる教訓として事例研究化できるものは、実施して良いと考えているからです。
ただ
承久の乱、朝廷と幕府、どちらにつく?
とか
当時の老中なら開国と鎖国、どちらを選ぶ?
とか
やりがちですし、自分もずっとやってきましたが、「選択・判断する力を高める」ことはないため(その力を高めたいなら子どもたちが考えるべき現在の事例を取り上げた方がよっぽど良い)、行う意義が中々見出せないということです。
大好きな実践ですが、乗り越えなければならない実践でもある。
今は安井実践をそのように捉えています。