読書記録

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22冊目 世界の多様性(世界の幼少期) 著者 エマニュエル・トッド  訳者 荻野文隆 藤原書店 2008

前巻の『世界の多様性(第三惑星)』では、簡潔にまとめれば、「それぞれの地域の家族構造が、その地域のイデオロギーを規定する」という結論が記されていました。

 

しかし、家族構造は過去数千年以上変わらない地域があるにも関わらず、イデオロギーはここ数百年で表出したに過ぎません。

 

では、「イデオロギーが表出してきた要因とは何なのか?」。

 

そして、イデオロギーの表出は、近代化を導きます。

 

そのため、上記の問いは「それぞれの地域ごとに近代化の時間的差異が生じているのはなぜなのか?」という問いも導き出されます。

 

本書は、その問いの解明に挑みます。

 

まず、本書では、一般的に言われる経済的な豊かさがその地域の近代化を促進したという仮説を批判します。

 

むしろ、経済面での近代化は、精神面での近代化での結果であるといいます。

 

「精神的な近代化は、物質的な富や生活条件の改善の単純な結果ではない」(第299頁)。

 

「天の恵みである石油が、アラブ諸国やナイジェリアの文化上の近代化を加速させることはなかった」(第299頁)。

 

では、何が成長を促進させる要因なり得たのか。

 

トッドは、統計的な調査により、文化的な成長と最も大きな相関性を示す変数として、「識字率・死亡率の低下・出生率の低下」をあげます。

 

「その非物質的、文化的な成長は、心性の革命のかたちをとって進行する。それはまず識字率の向上として現れる」(第298頁)。

 

「次にそれは死亡率と出生率の低下として現れる。身近な生物学的な環境を制御できるようになるのである。第三の段階で成長は、ようやく工業製品の製造による物質的な富の増加として現れる。工業化は成長プロセスの全体から見れば小さな一部分に過ぎず、物質的であるよりはより知的なレベルで進む成長プロセスの総体のなかでは重要ではあるが、論理的には二義的なものに過ぎないのである」(第298頁)。

 

では、識字率が向上し、死亡率や出生率が低下しやすい地域とはどのような地域なのか。

 

トッドはそれを家族構造に見ます。

 

「親の権威そのものが強く主張され、さらに女性の立場が高いほど、子供たちに対する母親の権威は強力なものになるのである」(第314頁)。

 

上記の二つの変数を家族類型に組み入れると、家族類型は「親の権威を現す変数ー縦型か非縦型ーと女性の地位というもうひとつの変数ー父系型・双系型・母系型ーの組み合わせは、六つのケース、成長についての適性が異なる六つの家族タイプを生み出すことになる」(第316頁)。

 

この中でも、「双系制で縦型、女性主義的で権威主義的なタイプ4は、もっとも強い母親の権威と対応している。女性の高い地位と強い親の権力が組み合わさったものである。その養育の力は最大である。このタイプは、例えば、ドイツ、スウェーデン、日本などの家族システムに対応している。父系制で非縦型、権威主義的でも女性主義的でもないタイプ1は母親の権威が最も弱く、教育の力が最小である。これはアラブ諸国に支配的な家族モデルである」(第320頁)。

 

そして、その他の家族類型は、中程度の教育力を持っていると考えます。つまり、識字率を高める教育力の高い地域がドイツやスカンジナヴィアや日本・韓国などであり、イデオロギーの表出が早く、近代化も早い地域であると言えます。

 

その逆も然りです。

 

イギリスが近代化を世界で初めて成し遂げたということも、識字率が最初に向上したドイツから伝播という形で識字化を果たし、近代化に至っていったという解釈をとっています。

 

「ある国、ある人民が大衆規模での識字化に達するとき、政治的な騒乱なしに進行することは稀である。それらの混乱は状況によって革命のかたちをとることもあれば、そうでない場合もある。しかし、読み書きの習得は、常にイデオロギー的な概念をそれまで反応できなかった人々の手の届くところに置くことになるのである」(第448頁)。

 

上記のように、識字率の向上は、ヨーロッパでは市民革命を生み出しました。

 

ロシアでは、「革命的『断絶』の直前のロシアのテイクオフの規模の大きさを捉えることができる。ロシア帝国の新兵の識字率、つまり若い成人男子の識字率が一八七四年の二〇%から一九一三年の七〇%近くに上昇していたのである」(第370頁)というように、ロシア革命を生み出します。

 

また、日本で明治維新という近代化がすんなりと成されたのは、そもそも家族類型的に、教育力が高く識字率が向上していたことが大きな原因であると本書では捉えています。

 

「確かに日本は、経済的な領域で非常にはやく追いついた。というのも、経済は成長のプロセスの本質的な要素ではないからだ。しかし人類学的な領域でヨーロッパからの遅れを取り戻すという現象はなかった。それは、この根底的な領域においては、日本の成長は一度も遅れたことがなかったというきわめて単純な理由からである」(第393頁)。

 

また、識字率七〇%を一つの基準とすると、二〇世紀に発生した大衆の暴力的な内乱の地図と、ほぼ一致する統計も提示します。

 

これらの出来事は、「ルターの宗教改革、イギリス革命、フランス革命ロシア革命といった一般的に大衆の識字化の文脈と結びついた移行期におけるヨーロッパの殺戮の形態と同じく理性的なものであり、それ以上でも以下でもない。ヨーロッパのイデオロギー形態は、それ自体において唯一の優越性しかもたない。その発生がより古かったということである」(第455頁)。

 

つまり、「読み書きの能力の習得によって、伝統的な社会の文脈ではそれなりに限られたエリートにしか開かれていなかったイデオロギー的なテクストや概念が成人男性の大多数(ストーンの統計上の表現よる)の手に届くようになったのである。大衆の識字化は、ある意味では民主主義であり、書かれたものの前での平等を意味する。人類の進歩、各社会の進歩のそれぞれの段階は、まずは識字率によって要約することができるだろう」(第449頁)と結論付けられます。

 

そして、その識字率の向上は、化学的な知識の習得を促し、死亡率を低下させ、女性の社会進出を促し、晩婚化が進行し、出産適齢期が以前と比べ短くなるため、出生率が減少します。その一連の流れの中で、近代化の進行が図られるようになったのです。

 

「自民族中心主義的権威主義(日本・ドイツ)、自由主義個人主義(イギリス・アメリカ)、平等主義的個人主義(フランス)、共産主義(ロシア、中国)、アラブ世界(イスラム)、インド(カースト制度)などのイデオロギーは、それぞれの家族類型が規定していた。そして、その表出される時期は、その地域の識字率の向上によってもたらされ、その識字率の向上は、それぞれの地域の家族類型によって生み出される教育力の差異によって規定されている」というのが、本書全体の簡潔な結論になるかと思います。

 

前著の紹介にも書きましたが、何よりも豊富な統計資料により経験主義的に導き出される結論の説得力に圧倒されます。

 

統計資料を徹底的に収集し、読み解き、関連させ、新たな結論を導き出す。

 

社会科が目指す生徒像の理想像が、トッドの研究に見えるなぁ、と強く思います。